院長からのご挨拶
私が開業当初から抱いていたポリシーは、治療面では
- 出来るだけ痛みの少ない治療をし、分かり易い説明を丁寧にすること
- 科学的根拠に基づいた基本に忠実な治療をすること
- 最終的な被せ物のベースとなる基礎工事をしっかり行うこと
ハード面(医院造り)では
「癒しを感じる医院造りをすること」でした。
今でもその思いは変わっていません。私がどの様な経緯で現在の、うえすぎ歯科クリニックを築いてきたかを私の幼少時代からを振り返って少し長くなりますが説明したいと思います。まず私の家族構成ですが、父が医者で母は薬剤師、姉は医者で姉の旦那様も医者と正に医療系の家族構成です。小さい頃から何となくお医者さんになるのだろうなと漠然と考えていました。
と言うのも私の父が九条で開業医をしており私にその後を継がせたいと考えていたからです。
小さい頃から進学塾、そろばん、ピアノ、公文塾、家庭教師に通信教育とあらゆる習い事をさせられてきました。
当時はその反動で勉強が大嫌いになったのも事実です。ただ一方で、体育や美術などの授業はとても好きで何かを模写して作ったり、体を動かして遊ぶことが大好きでした。
そして、卒業生の9割が医者か歯医者になるという特殊な全寮制の高校に入学することになりました。ここで私は医者になるか歯科医師になるかのターニングポイントが訪れたのです。
私は幼少の頃より両親の敷かれたレールの上を進んできている自分を振り返って、そんな人生は面白くないと言う変な反発心も芽生えていました。
そして、小さい頃からクラッシック等の音楽を聴いたり、絵を描いたりと芸術方面に興味があった事も関係するのですが、ある日たまたま目にした「折れた前歯を芸術的センスで審美回復」と言う見出しである雑誌の写真を見たときに“これだ”と直感がはしりました。
そこにはアメリカの審美歯科最前線と言う特集で目を疑う程、綺麗に前歯が治療されたbefore、afterの写真が掲載されていました。そこで今の気持ちを父に話し、許しを得て歯科大に進学することにしました。
今考えてみればこの時よく父が了承してくれたと本当に父には感謝しております。そして、いよいよ大学生活が始まりました。
さて本分の大学生活と学業について述べる前にまず高校生活から振り返りますと、先にも少し触れましたように私の高校時代は全寮制の高校でした。
それも男子校男子寮で寮監の先生方は空手や柔道で元オールジャパンに選ばれたような方が何人もいました。
当然寮の規則は厳しく完全に体育会系で、朝は6時に起床し寮の玄関前に集合して点呼をとりラジオ体操、ランニングからはじまり寮生全員で寮全体を掃除する事から一日がはじまりました。
平日は寮と学校を行き来するのみで外出はできません。テレビも一日50分程しか見られず、休日の門限も午後6時までで外出許可書(外出する目的や帰りの時間を書く)を提出して、寮監長にOKをもらえたら外出するといった具合でした。当時は寮と言うより更正施設だと嘆いていた寮生も少なからずいました。実際に私が卒業するまでの3年間で寮を脱走した学生も5,6人程いたように思います。話は戻り親元を離れての大学生活ですが、厳しい高校生活を終えた後に監視する目もなくなり自由な一人暮しが始まります。
当然、高校時代からの青春時代を取り戻すべく大学時代は少々遊びが過ぎた様に思います。勉強も疎かになり、一時は留年しかけた程です。
後で聞いた話ですが私のいた高校の卒業生の多くは厳しい高校生活のギャップからか、大学では留年を経験しているそうです。私は特に大学1年生から2年生に上がるのにギリギリの成績で、何とか進級できましたが270人程いる学生の中でもかなり下位の成績だったと記憶しています。
それで目が覚めた私は疎かだった勉強に本腰を入れるようになり、5年生の時には全国の歯科大学の共通試験で全国5位の成績を上げる事ができました。
そして卒業試験の時は教室に二十列程ある机の中から成績の良い順で一番後ろの列から順に座れるのですが、一時は学年で一番悪い成績だった私がなんと一番後ろの列で試験に挑む事ができました。この他に大学時代でも嬉しかった事は幼少期より何かを模写して作成するのが好きだった私は沢山いる学生の中でも歯型彫刻(被せ物を作る過程の作業)が一番良い成績であった事です。この事が後に大阪大学歯学部の第一補綴学講座に入局するきっかけになりました。
さて、一方で勉学以外の大学生活にも少し触れたいと思います。大学時代は冬になると新潟や長野の山にひと月程、篭ってスキーをするのが楽しみでした。
この時に大事なことを二つ学んだと思います。 当時、私は幼い頃からスキーをしていた事もあり友達や両親、学校の先生からスキー上手だなと言われていました。
我流でしたが、足をピッタリそろえてパラレルやウェーデルンといった滑りも簡単にできていました。
そして、友達に「お前ならスキー検定一級通るんちゃう と言われて調子に乗って妙高高原にスキーの検定試験の一級を受けに行きました。すると、スキースクールの関係者にスキーの一級を受けるにはまず二級を持っていないと受けられないと言われ、その時初めてその事実を知りました。当然二級ぐらいは直ぐに受かるだろうと安易な気持ちで二級のバッジテストに挑みました。しかしそんなに検定試験は甘いものではなく、結果は見事不合格でした。
そこで、何が駄目だったのか分からなかったので次のテストに向けて検定用のスキースクールに入ることにしました。
その時の受講生の中では自分は間違いなくトップレベルだと錯覚していました。しかし、その自信は脆くも崩れ去りました。インストラクターの先生には「お前の滑りは基本が全くできていない」と何度も言われ基礎の基礎からやり直す様にいわれました。そこでひと月山に篭り練習を重ね三度程、二級の試験を受けましたがいずれも通りませんでした。
今思えば一度身についた我流の滑りを正しく直すのは非常に大変で我流のフォームを基本に戻してから一から上達しないといけないのでかえって時間がかかったのだと痛感しています。
ただ、次の年にもスキースクールにもう一度入り、徹底的に基本を身に着けていきました。そしてやっと二級に通る事が出来たのです。この時の合格者は24人中僕を含め僅かに2人だけと厳しかったため本当に嬉しかったのを覚えています。その後もひと月山に篭って基本に磨きをかけ今度はいよいよ一級に挑戦です。
その年から新しくゲレンデシュプルングと言うジャンプ競技が加わりました。私にとってはラッキーな事にその種目は得意で、その他の種目も基本に磨きをかけていた事もあり見事に一級が受かったのです。
こうして得た経験により、基本に忠実にと言う事と目標は諦めなければ必ず叶うと言う事を学びました。振り返れば大学生活は本当に楽しいものでした。
それから話は進み勤務医時代を経て現在の九条の地に2003年、うえすぎ歯科クリニックを開業する事となりました。
そして、今は素晴らしいスタッフに囲まれ予防と審美を軸に私の理想とする歯科医院になる様一歩ずつ歩みを進めています。
私の理想の歯科医院は働くスタッフの笑顔が絶えず、来院される患者様も笑顔で満ち溢れている、そんな歯科医院でありたい。そしてスキーで学んだ「全てにおいて基本に忠実に」を治療の観点からも基本に忠実に理想の医院を造りたい。そのために日々研鑽を積んでいこうと思います。
院長プロフィール
上杉良太
所属団体
- 日本補綴歯科学会会員
- 日本歯科審美学会会員
- 大阪大学歯学部歯科補綴学第一講座同門会会員
- 日本歯科医師会会員
- 大阪歯科医師会会員
- 日本ヘルスケア歯科研究会会員
- 国際歯周内科学研究会会員
- スタディーグループいちょう会所属
- インビザライン・インビザラインGo認定医
- 臨床歯科麻酔管理指導医
- 歯科医師臨床研修指導医
学歴
- 大阪府出身
- 朝日大学歯学部卒業
- 大阪大学歯学部歯科補綴学第一講座入局(現 顎口腔機能再建学講座)
- 吉岡歯科医院非常勤勤務 OCS(オーラルケアステーション)非常勤勤務
- 岡歯科医院勤務
- 大阪大学歯学部歯科補綴学第一講座退局(現 顎口腔機能再建学講座)
- 2001年8月 九条にて医療法人 名山会 うえすぎ歯科クリニック開業
診療日
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
〇 | 〇 | – | 〇 | 〇 | 〇 | – |
診療時間:9時00分~19時00分
※休診日 / 水曜・日曜・祝日 / 土曜は9時00分~13時00分、14時30分~17時00分まで
医院情報
病院名 | 医療法人 名山会 うえすぎ歯科クリニック |
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所在地 | 〒550-0027 大阪府大阪市西区九条3-20-15 |
電話番号 | 06-4393-0418 |
病院HP | https://www.uesugisika.jp/ |
診療科目 | インビザライン、矯正治療、むし歯治療・歯科一般、痛みに配慮した治療、歯周病、予防歯科、ホワイトニング、インプラント、根管治療、入れ歯、マウスピース |
アクセス | 地下鉄中央線 九条駅 3番出口より徒歩約6分 近隣に専用駐車場を5台完備 |
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